大相撲 最速 昇進 5


大相撲の番付とは?番付の仕組みと決め方。そして各地位ごとに解説!番付知ると相撲観戦はもっと楽しい!, 10段階で格付けされ、同じ地位の力士も「東」と「西」や「何枚目」という言い方で、すべて順番が決まっていきます。. なお、過去に直前場所が8勝、9勝での昇進例はなく、昇進直前場所は最低でも10勝が必要であると考えられる。, 昭和期においては「3場所連続で三役(関脇・小結)の地位にあって、その通算の勝ち星が30勝以上」が大関昇進への目安とされてきた[8]。, 1961年(昭和36年)5月場所を終えた北葉山の直前3場所は、8勝-9勝-11勝の合計28勝、1966年(昭和41年)7月場所を終えた北の富士の直前3場所は、8勝-10勝-10勝の計28勝でそれぞれ大関昇進を果たしている。この両名が年6場所制施行後では大関昇進直前3場所の最少の勝星数である。北の富士の場合では、当時大関は豊山1人という番付上の都合があるとされる。, 一方、1957年(昭和32年)11月場所を終えた琴ヶ濱は直前3場所を12勝-11勝-10勝の合計33勝を挙げ、当時の目安を大きく超えた成績であったが直前場所が10勝留まりだった事などが評価を下げ、昇進できなかった。翌1958年(昭和33年)1月場所後を、11勝-10勝-11勝と全て関脇の地位で計32勝としたが再度見送られる。しかし次の3月場所を終え、関脇で直前3場所を10勝-11勝-13勝(優勝同点)の計34勝を挙げ、同場所で優勝決定戦に進出したことが評価されてようやく大関昇進を果たす。, 1972年(昭和47年)3月場所を終えた長谷川の直前3場所は、全て関脇で8勝-10勝-12勝(優勝)の合計30勝を挙げ、目安を満たしかつ直前場所で優勝したことにより大関昇進が期待されたが、同場所中に大関同士(前の山対琴櫻)の対戦が無気力相撲の指摘を受けたことなどにより大関の資質が問題視され、審判部が長谷川に対し「もう1場所見てから」と判断を慎重にし、昇進できなかった。次の5月場所も長谷川は直前3場所を10勝-12勝(優勝)-8勝の計30勝だったが再度見送られ、その後の長谷川は好成績を挙げられず、結局大関昇進は果たせなかった。, 長谷川の例以降は、大関の資質や目安が昇進の問題にされる事例はしばらくなく、このころは、「30勝以上」からのちの「33勝以上」へと目安が変化する過渡期であるといえる。, 1980年(昭和55年)3月場所を終えた増位山(太)は直前3場所を8勝-11勝-12勝の計31勝、1981年(昭和56年)9月場所を終えた琴風は直前3場所を9勝-10勝-12勝(優勝)のこちらも計31勝であるが、増位山の場合は当時大関が貴ノ花1人だけ、琴風の場合は大関不在という番付上の事情が絡み、大関昇進を果たしている。1985年(昭和60年)7月場所を終えた大乃国は、直前3場所を9勝-10勝-12勝の合計31勝であったが、「連続6場所関脇を守った」「横綱・大関とほぼ互角の力がある」ことが評価され、特に異論なく大関昇進を果たしている。, その一方で、1986年(昭和61年)5月場所を終えた保志(当時・のち北勝海)は直前3場所が8勝-13勝(優勝)-11勝の合計32勝をあげたが、12日目に北尾(のち双羽黒)に敗れ4敗目を喫し優勝争いから脱落、また当時5人も大関が居た為に大関昇進を見送られる(この時点では前例の無い「6大関」を極力回避したい相撲協会の思惑があった為とも言われた)。だが翌7月場所では終盤迄優勝争いに加わり、保志は12勝を挙げ直前3場所を13勝(優勝)-11勝-12勝の合計36勝の好成績を残し、当場所後に文句無しの大関昇進を果たした(同時に北尾改め双羽黒も大関から横綱へ昇進した為、結果「6大関」は実現しなかった)。, さらに、1987年(昭和62年)3月場所の小錦が直前3場所を10勝-10勝-11勝の合計31勝を挙げるも、同場所前半戦で4敗し大関昇進は早々に消滅。翌5月場所の小錦は12勝で、直前3場所を10勝-11勝-12勝の合計33勝の成績により、当場所後ようやく大関昇進を果たす。小錦の場合も当時5大関がおり、昇進に高レベルの成績が求められていた(同じく大関・北勝海も横綱昇進を果たし6大関は成らず)。そして、同年7月場所も旭富士も同様直前3場所を10勝-10勝-11勝の合計31勝としたが昇進できず、翌9月場所に12勝で直前3場所を10勝-11勝-12勝の合計33勝とし、同場所後大関昇進を果たした(同時に大関・大乃国も横綱昇進し、次の11月場所は1918年(大正7年)5月場所以来69年振りの「4横綱4大関」の番付となる)。, 平成初期の特殊な例として、琴錦は1991年(平成3年)9月場所は前頭5枚目で13勝2敗で優勝、小結に戻った11月場所も終盤まで2敗で優勝を争い、当時の二子山理事長(元横綱初代若乃花)は「2連覇ならば関脇を飛び越えての大関昇進をも検討する」旨を明言した。当時は横綱の休場、引退が相次ぎ、世代交代の時期に入っていたことが背景にある。結果、琴錦は千秋楽に破れて12勝3敗、優勝を逃して昇進はできなかった。なお琴錦はその前の1991年(平成3年)1月場所を終え、直前3場所を9勝(小結)-10勝-11勝(2場所関脇)の計30勝とし、旧目安ならば満たしている。ほかにこの時期に旧目安を満たした力士は栃乃和歌がいるが(1992年(平成4年)3月場所を終え、直前3場所を全て小結の地位で10勝-8勝-12勝(優勝次点)の計30勝)、やはり大関昇進は果たせていない。, 1993年(平成5年)5月場所を終えた若ノ花(勝、当時・のち若乃花(3代))は10勝-14勝(優勝)-10勝の合計34勝だったが、昇進を見送られた。理由は、3場所前が平幕の地位(前頭3枚目)だったことや、大関取りが掛かった5月場所は新関脇だった事、さらに同場所千秋楽で大関の小錦に敗れて5敗目を喫した事情などが挙げられた。しかし、翌7月場所は直前3場所が全て三役(小結・関脇)の地位で、14勝(優勝)-10勝-13勝の計37勝の好成績(大関昇進3場所前の計37勝は、1983年(昭和58年)5月場所後に昇進した北天佑らと並ぶ最多勝数タイ記録)により、当場所後に大関昇進を達成した。, 1996年(平成8年)5月場所を終えた武双山は、全て三役の地位で10勝-12勝-10勝の合計32勝を挙げるも、大関昇進は成らなかった。原因として、直前場所が10勝止まりで昇進目安である合計33勝以上に足りなかったこと、また同場所の13日目で5敗を喫し、優勝争いから脱落した事などだった。翌7月場所も引き続き大関取りだったが、7勝8敗と負け越して完全に振り出しに戻った。それでも、4年後の2000年(平成12年)3月場所後に三役で3場所合計35勝を挙げて、ようやく大関昇進を果たした。, 平成中期以降においては、大関昇進の目安は「3場所連続で三役(関脇・小結)の地位にあって、その通算の勝ち星が33勝以上」で定着している。, 大関に昇進した例では、1999年(平成11年)1月場所を終えた千代大海の直前3場所の成績は、9勝-10勝-13勝(優勝)の合計32勝であったが、直前場所の千秋楽で横綱・若乃花相手に本割り・優勝決定戦と連勝、逆転優勝したのを高く評価されて大関に昇進した。, 2011年(平成23年)11月場所を終えた稀勢の里の直前3場所の成績は、10勝-12勝-10勝で合計32勝であったが、日本人力士が不調(大関以上は前場所昇進の琴奨菊のみ)、直前6場所を全て勝ち越し10勝以上が5場所という安定した成績、横綱・白鵬との幕内対戦が直近6場所で3勝3敗と互角の成績を挙げた事などが加味された[9]。, 2014年(平成26年)7月場所を終えた豪栄道の直前3場所の成績も、12勝-8勝-12勝で合計32勝だったが、それまで史上1位の14場所連続で関脇に在位していた事、また直前場所で鶴竜、白鵬と横綱二人を下し、さらに千秋楽では最後まで白鵬と優勝を争った大関・琴奨菊を倒した事などが評価され、大関昇進が決定した。, また、2015年(平成27年)5月場所を終えた照ノ富士は直前3場所が平幕込みで8勝-13勝-12勝(優勝)の合計33勝だったが、直前場所での幕内初優勝を果たした事が大関に相応しいと判断され、新大関となった[10][11]。なお大関昇進の3場所前が平幕の地位だったのは、1985年(昭和60年)11月場所後の北尾(のち横綱・双羽黒。前頭筆頭で12勝3敗)以来29年ぶりだが、3場所前が平幕で1桁勝ち星となると、1983年(昭和58年)3月場所後の朝潮 (4代)(前頭筆頭で9勝6敗)以来の32年前までさかのぼる[12]。, 2018年(平成30年)5月場所を終えた栃ノ心は昇進3場所前は平幕だったが、この場所を含め直前3場所を14勝(優勝)-10勝-13勝の合計37勝を挙げた好成績が高く加味され、文句なしで大関昇進した。大関昇進の直前3場所の起点場所が平幕優勝だったのは、1976年(昭和51年)9月場所の魁傑(1977年1月場所後に大関再昇進)以来で、平成時代以降では栃ノ心が初めてとなる。, 但し、逆に昇進できなかった例としては、2002年(平成14年)1月場所を終えた琴光喜は13勝(優勝)-9勝-12勝の合計34勝も、昇進を見送られる。理由は、3場所前が前頭2枚目(13勝2敗で平幕優勝)だったこと、2場所前が9勝と1桁白星であったこと(平成以降の大関昇進者はほぼ2場所前は10勝以上)、また当時大関が4人もいたことが引っ掛かった。さらに大関取りが期待された同場所において3敗目を喫した内容があまりにも悪かったほか、自分より遥かに地位の低い前頭8枚目の武雄山に敗れた理由もあったといわれる。翌3月場所は直前3場所が9勝-12勝-8勝の計29勝に留まり琴光喜の大関取りは一旦消滅するも、5年後の2007年(平成19年)7月場所後に悲願の大関昇進を達成した。, 2006年(平成18年)7月場所を終えた元大関・雅山は直前3場所を全て三役の地位で10勝-14勝(優勝同点)-10勝の計34勝と、大関再昇進に適う星取であった。しかし、直前場所が10勝だったことや、当時大関が既に5人いた(白鵬がこの場所綱取りであったが、翌場所に継続となった)ことを理由に昇進を見送られている。翌9月場所は直前3場所を14勝(同点)-10勝-9勝の計33勝としたが再び却下され、結局雅山の大関復活は成らなかった。, 2010年(平成22年)1月場所を終えた把瑠都は直前3場所を全て三役で12勝-9勝-12勝の計33勝としたが、2場所前が1桁勝ち星だったことや、上述の琴光喜や雅山のように、合計34勝を挙げながら昇進出来なかった例もあって見送られる。翌3月場所は14勝(優勝次点)の好成績により、異論無しの大関昇進を果たした。, 2019年(平成31年)1月場所を終えた、当時新関脇の貴景勝は直前3場所を9勝-13勝(優勝)-11勝の計33勝としたが、過去2場所は小結であったことや、千秋楽で大関・豪栄道との敗戦内容が悪過ぎた事から見送られた。翌3月場所の貴景勝は14日目の時点で9勝5敗、千秋楽は角番大関(通算2度目)で7勝7敗の栃ノ心と取組になり、事実上の大関入れ替え戦を制して10勝5敗を挙げた(逆に7勝8敗と負け越した栃ノ心は関脇陥落)。結果、直前3場所合計34勝を挙げ、打出し後に貴景勝の大関昇進に向けた臨時理事会の開催が決定され、大関昇進となった。, 令和時代以降も、大関昇進の目安は「3場所連続で三役(関脇・小結)の地位にあって、その通算の勝ち星が33勝以上」で定着している。, 2020年(令和2年)3月場所を終えた、当時関脇の朝乃山は直前3場所を11勝(優勝次点)-10勝-11勝の計32勝で、目安の計33勝には届かなかった。しかし、朝乃山は直近6場所の内5場所が2桁勝利、4場所連続で2桁勝利、前年の2019年に幕内最高優勝や年間最多勝を獲得するなどの好成績を挙げている。これらのことが評価されたことに加え、貴景勝の一人大関状態だったことや、その貴景勝の5月場所[13]の成績次第[14]では7月場所から大関不在となる可能性も在ったなど、幾つかの事情が重なったこともあり、大関昇進を果たした。, 2020年9月場所を終えた、当時関脇の正代は直近3場所を8勝-11勝-13勝(優勝)の計32勝で、目安とされる33勝には届かなかった。だが、1年間を通して4場所2桁で勝ち越していることや、直前場所での優勝が評価され、大関昇進が決まった。, ☆はのちに横綱。◎は優勝、◯は優勝同点、△は優勝次点(タイ記録も含む)、※は三役の地位で3場所通算33勝未満と及び直前3場所前が平幕上位で昇進した力士。, 江戸時代には大関に在位した力士が翌場所に平幕以下に陥落した例も存在したが、当時は現在とは全く違う基準で番付を作成していたため参考にはしにくい。看板大関の制度が存在した時代の番付は必ずしも実力本位のものではなく、また看板大関がそもそも一時的な大関といった扱いのため、実力が大関相応とされる力士が現れた際には地位を明け渡すことが前提であった。看板大関廃止後は実力本位で番付を作成するようになったが、それ以降にも明治時代までは大関に在位した力士が翌場所に平幕へ陥落した例が存在する(最も新しい例は1900年(明治33年)5月場所の鳳凰馬五郎)。明治時代もまだ番付編成は現在と大きく異なっており、一ノ矢藤太郎や大碇紋太郎のように勝ち越していながら降格となった者も存在した。その後も大正時代までは1場所で大関から即陥落も制度上存在し、実際に1場所で降格となった力士も存在する。大関陥落については江戸時代以来長らく明確な基準が無く、特に地位を保証されてはいなかったため、関脇以下の力士との兼ね合いでは大関の勝ち越し降格も当時の感覚では不自然なことではなかった[15]。, 1927年の東京相撲と大坂相撲の合併以来の諸制度の確定の中で大関の地位が確立し、「2場所連続負け越しで陥落」の基準が定着した(ただし、1929年〈昭和4年〉から1932年〈昭和7年〉までの2場所通算成績などで番付を編成していた時代には、必ずしもこの限りではない)。なお、戦前までは大関からの陥落は必ず関脇になるとは限らず、小結まで落とされた例も存在する。また昭和以降大関の力士で陥落したのちに、大関へ復活を果たしたのは、汐ノ海が最初のケースとなった。, 1958年(昭和33年)に、年間6場所制度が実施された時には、2場所では厳しすぎるとして、3場所連続の負け越しで関脇に陥落と改定された。ちなみにこの規定の下で大関から関脇に陥落した力士は、松登と若羽黒がいる。ところが、今度は甘すぎるとする批判が相次ぎ、1969年(昭和44年)7月場所より現行の「2場所連続負け越しで関脇に陥落、直後の場所で(取組日数による現行の規定で)10勝以上を挙げた場合は特例で復帰できる」とする規定が定着した[16]。この現行規定の下で大関特例復帰を果たした力士は、三重ノ海・貴ノ浪・武双山・栃東(2回)・栃ノ心(関脇以下で現役)・貴景勝(現役大関)の6人・7例ある。尚、翌場所の関脇陥落が確定している力士も、翌場所の番付発表の前日までは大関としての待遇を受けられる。, 大関の地位で2場所連続負け越してしまうと、翌場所には関脇へ陥落する状況の現役力士陣を「角番(大関)」と呼ばれている。, 又平成末期~令和初期には、2017年に琴奨菊と照ノ富士、2019年は栃ノ心(2度)と貴景勝、2020年には髙安がことごとく関脇へ陥落し、翌場所に大関特例復帰のチャンスを懸けている。特に、2019年9月場所から2020年1月場所まで3場所連続で貴景勝、栃ノ心、髙安と陥落者が続出している。現役引退した豪栄道も引退場所で関脇陥落が決定しており、それも含めると4場所連続の関脇への陥落者が出たことになる。, かつては、関脇以下へ陥落した元大関が現役を続行する場合、十両への陥落確定を機に引退することが慣例とされ、そもそも大関在位中に引退するケースが大半だった。 17歳2カ月 小結 15戦全勝 本当にあるのですか?, https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1161798771.

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